現代社会はデジタルテクノロジーの進化により、様々な変化がもたらせています。人々のモノごとに対する評価や価値観も大きく変わり、多様化しています。ファッションの世界でも伝統技術とデジタルテクノロジーを融合させた新しい仕組みで感動価値を生み出すプロダクトイノベーション化が顕著となっています。
“美しく見せたい”“かっこ良く見せたい”人間の本質に欠かせないアイテムが衣服でありファッションの源流です。
完全機械化が困難な縫製産業は持続可能な産業であり、これからの日本の衣生活文化に欠かすことのできない存在となり得るでしょう。
今わたしたちにできる大切な事は、繊維産地として作り上げた伝統技術で時代のニーズに対応した“岐阜ブランドの新たな構築と再生”。ひと手間ひと手間加える知恵が美しいラインの造形を生み出す技となり、知恵と技との学びが次の新しい世代へ受け継がれる。縫製産業を未来へとつなげる架け橋となることです。
岐阜アパレルの発祥は戦後焼け野原と化した岐阜駅前で満州からの引き揚げ者らが古着などの生活
必需品の販売を始め、その後隣接する国内有数の織物産地一宮、尾西、羽島から布地を仕入れ新しい服を作って売る既製服産業へと転換して行ったのが始まりです。日本経済が高い成長を続ける中、岐阜県の繊維産業も「作れば売れる」既製服の大量生産・大量販売で東京・大阪と肩を並べる日本の三大産地へと飛躍的に発展していきました。岐阜アパレル・縫製加工業が地域経済の中心として隆盛した昭和49年、岐阜県既製服縫製工業組合は県内縫製業の産業振興・発展・技術の向上等を主な目的に発足し、ピーク時の昭和60年頃には1,000社以上の組合員が加盟する県内屈指の業界団体として地域経済の活性化に大きく貢献していました。ミシンによる縫製作業は生産過程において必ず人の操作が必要となり完全機械化が困難な労働集約型の産業です。
それ故、設備の他に多能工・熟練工・縫製技術が必須で、それなしでは競合できないという強みがある反面、大規模生産には労働力の大量投入が必要となり人件費の安い途上国への技術移転が進むという弱みがあります。日本経済の成長がバブルの崩壊とともに減速化し、IT
革命・効率化・低コスト化によるグローバル経済の進展は中国など ASEAN
諸国に生産拠点の移動を加速させました。さらにファッションのファスト化・消耗品化が追い打ちを掛け、平成2年衣服の国産品比率51%に対し平成31年にはわずか2.3%に大幅に減少致しました。